警察の腐敗・・・「悪魔と踊ろう」       ~尋問の儀これあり~

四万十川沿いの町で、仕事中の銀行員が殺害され現金を奪われたが、犯人は、警察幹部の親戚だった為、警察は「隠ぺい工作」を画策し、この事件の犯人を割り出した警察官(私)は、ミミズのように蒸し込まれた。

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四万十川の名の由来

          四万十川

テレビで有名になり、風光明媚な情報はいくらでもありますから、

あまり知られてない話題になってない「四万十」を紹介したいと思います。

ただし、この紹介は、アマチュアの土佐民族学会員から聞いた事に私の意見を加えたもので、

学術的に絶対間違いないとは言えないので、この点を最初におことわりします。



 根無し、宿無し、浮き草の流れ流され、左遷された。

私の警察人生で、タダひとつ幸いであった事は、四万十川沿いに流されたことです。

 壇ノ浦の合戦に負けた平家の落ち武者と同じ道を、自分の子供を育てるための生活費を得るため彷徨し、

イヤな組織に奉公したわけですが、場所が四万十川沿いであった為、

土佐の国・発祥の歴史がわかり、同時に土佐の国の未来もおぼろげながら見えてきました。

船



      四万十川の名の由来

 数々の説があります。が、『四・万・十』川 と、ナゼ漢数字だけで名前が付けられたのか?

誰も書いておりません。

 私の記憶と貧しい知識から、全国で他にこの様な名前は無かった?ように思います。?

以前テレビの歴史番組で、奈良県の古墳から発掘された資料の中に、

難解な漢字の右側に、平仮名の無い時代、だれでも読めるような漢数字だけの当て字で読む

・読み方が書かれた資料があった。


 結局・四・万・十・と言うのは、何かの漢字の読み方を人々に知らせるための当て字ではないのか?と思います。

 次に

 現在では、一本の川、全てが四万十川と呼ばれていますが、江戸時代までの文献には、四万十川河口の町

・四万十市(旧・中村市)付近、つまり四万十川下流域では『渡川』または『大川』と書かれています。


 事実、国土交通省(旧・建設省)の河川名は「1河川」に「1河川名」を採用していますが、『渡川一級河川』
と言う大きな看板が川沿い(国道沿い)に十数年前まで設置されていました。

 一本の川でも、上流域・中流域・下流域には、それぞれの風土・歴史・文化・生活があり、古代からの支配者に
統括されていたのです。

 古代からの文献で「四万十」とハッキリ書かれているのは、四万十川の中流域

(旧 西土佐村・旧 十和村)から上流域である。との事です。(土佐民俗学)

 

古代の仏典

 文明発祥の地、インダス文明・ガンジス河流域文化等から中国大陸を経由し朝鮮半島を経て日本に到達する。

文化流入のルートはシルクロードと共に膨大な量の文献があり、私ごとき者が云々言う必要はない。


 釈尊が仏教を布教したガンジス河流域には網の目状に中州が発達し、中州の島・自体を「島(シマ)」と発音した。
      (日本の 駅伝・津波・過労死・芸者が国際語になったのと同様に「シマ」と発音した)


 島は聖地である。

ヤクザのシマもまた、組にとっては聖地である。“タトエ”は、悪いが仏教の用語が、そのまま日本語の語源になった例はいくらでもある。

 西日本の多くの島が“御神体”とされ、文献資料で見られる「三島」は輪廻転生の死生観を見る聖地である。



              徳島県 三島      愛媛県 大三島  など


宗教観に「絶後に蘇る(よみがえる)、つまり死んだ後に再び人は生まれ変わる」

・・・・・・・・・・・・・・・その為には、絶後の人が聖地に「渡る」必要がある。~これが葬式です。

 葬式とは旅立ちであり、決して終わったわけではない。四万十川中流域には“曹洞宗”がよく流布しており、
今なお、輪廻転生の死生観を見る事ができる。

 
 私が十和村の駐在所で勤務していた当時。(平成13年頃)

ある地域の葬式で、死者を座棺(座った姿勢で入れる・タルのような棺)で埋葬する。と聞きおどろいた。

 江戸時代までは、全国で座棺が使われており、現在の横向きに~横臥の姿勢で棺に入れるのは明治時代以降の
・・・・・・・・・・・・・・西洋文化の普及である。

座棺とは、座った姿勢が女性の子宮内の胎児の姿勢である。つまり、~今から生まれてくる胎児の姿勢を保つことにより、
・・・・・・・・・・・・・・・輪廻転生をねがった死生観である。


 話は変わりますが、南米インカ文明の「王」の墓は、王が座ったままで、“逆さ”にした白骨が発掘された。

これは、女性の子宮内の胎児が「生まれる姿勢」であり、

        ・・・~「いつでも生まれ出でる」~・・不死鳥のような“願望”が認められる。

 
 
 また、四万十川沿いの遺跡(縄文・弥生時代)には、住居の入り口に墓がある場合があり、

これは、死者の魂が女性に移り最も効率よく、輪廻転生ができるようにしたのではないか?との推測がなされています。


 聖地に渡り「絶後の人がよみがえる」~「三島」。

・・・・・・・・高知県幡多郡十和村、今は市町村が統合され窪川町十和、ここにも「三島」があります。

 

 四万十川中流域の「昭和」と言う地名の地域。この地域の四万十川に、今は・キャンプ場になっている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・~「三島」~・・と言う中州があります。


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     この「三島」は、聖地であり、江戸時代までは、

             「島」全体を・しめ縄・で取り囲んでいた。との事です。




 聖地に「渡り」輪廻転生を願う、

       おそらく古代では最も大事な儀式であった会場(聖地)~「島」~に「渡る」ための「川」。

          「島に渡る川」~島渡り川である。        


  古代の読み方で「島地」と書き「シマンジ」と読む。「シマジ」とは読まない。

 ならば、

             島渡川と書き「シマント・カワ」となる。



平仮名がない時代。この漢字の読み方を・誰でも読める漢数字の“当て字”の読み方を付ければ、

             島 渡 川           

              「四・万・十」川となる。



 京都や奈良のように高度な文化が古代から引き継がれた土地と、平家の落ち武者が、隠れ住んだ山里を、

・・・・・・・・・・・・・・・同じレベルで解釈していいものだろうか?


 私の素朴な疑問です。

もっと大らかな、地域の民の生活に密着した文化が、生活そのものである・日々の生活の糧を計算する“漢数字”で表現した。

       四・万・十・がそのまま土地に定着した。~その方が親しみもある。


 四万十川は「四万十の道」でもあります。

中流域・上流域に通じる枝川は、急流で浅い。
        川舟は、それぞれの地域の地形・水量・生活形態により変化する。

上流では、舟尾・高瀬舟と呼ばれる急流に強い小舟。~舟の先端が牛の角のようにフタツに別れ、ふなべりの厚い頑丈な舟が。

 下流では水量が多く、ユッタリした流れで、投網を使う漁をするため、広く、浅い。~水面から舟縁までの高さが、
テレビの時代劇で見る舟の半分位の高さしかない。


 一本の四万十川で、生活形態・水流・等が、全く異なる、それらの地域情報を・ひとつにしたのが

舟母(せんば)と呼ばれる大型の帆舟(帆かけ舟)であろう、と思います。

~川舟の帆舟です。

四万十川沿岸で取れる、炭やシイタケ・マツタケ・等(木材はイカダ流し)の山の幸は、上流から小舟で運ばれ、

途中・中流域から舟母(せんば)と言われる大型の帆舟に積み替えられ、下流の四万十市(旧・中村市)まで搬送される、

継舟制(舟をかえる)がとられ、中流域から大型の帆舟で、一度に大量の物資が運ばれた。


 舟母で運ばれた物資は、河口の下田港(海への出口)か、現在の四万十市に架かる、赤い鉄の橋(通称・赤鉄橋)

の少し上流にある小畑港(こばたけ・こう)に荷揚げされた。

                           《「港」は河原です。小畑は河原の名前です。》

 岸壁があるわけではなく、河原そのものが港です。ですから、今は何にもありません。



 今は、地元の人もココが、昔~「港」だった。などと言う話を知る人は、ほとんどいないでしょう。

ただ、この付近の地名は百笑(どうめき・100の笑いで、人々がどよめいた)です。

 その言葉の意味も、今の人は、知らないだろうと思いますが、港に着く舟の荷揚で活気づく男共が、酒や女に

轟々と騒ぎたてた夢の跡が名前だけを残した。



 舟母は四万十の道を通り、四万十の幸と情報を運び込んだと思います。四万十の文化は「応仁の乱」により、この地に流された、

京都の公家・一条家によって、ひとつに統括され、以来ひとつの文化圏になった。

 このあたりから同じ一本の川が「四万十川」「渡川」と複数の呼び名が付くようになった。と言うのが私の意見です。

もとは、輪廻転生の死生観をもつ、同じ「渡る川」でしょう。



警察組織にイヤケがさした私は、四万十川中流域の十和村で、この様な民族学・自然・祭り等を楽しんできました。

 山には信じがたい巨木があり、江戸時代以前から歴史的な侵略・変遷・争い・等がない「村」は、民俗学の宝庫でした。

 この村人が、昔ながらのやり方で作る「十和錦」と呼ばれる米(香り米)は、稲を束にしたものを逆さにして横木にかけた、

 稲木と言われる棚をつくり、天日(太陽)で、数日間ゆっくり干す。昔の日本なら、どこの農村でもやっていた事を

今でも忠実に引き継いでいます。

逆さにして干された稲は、茎の部分の栄養がそのまま下(稲穂)に移る。米を炊いた時なんとも言えない香りがする。

おいしい米です。四万十川に注ぐ、山から・わき出る山水で育てた米を食べながら、徐々に私の荒れた感情が癒され、

「悪魔と踊ろう」の記録を作り始めたのは、この十和村からです。



視察調査中の警察官諸君。
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  1. 2007/07/20(金) 23:30:39|
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